2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
世話になって居る運送屋で、新車祝いの一升瓶の日本酒を頂き、序に仕事も頂きました。 なんと初仕事が、豊橋から野菜を積んで、東京へ・・・ 私達庸車は、一回幾らの請負、距離によって値が決まるのです。 運送屋の車のナンバーは、営業用の青ナンバー、私達…
眺めているだけではらち明かない、早速試運転。 これから先の相棒、しっかり乗りこなさなければ、大金払った甲斐がない。 何もかもが新品。新車の匂いは、独特の匂いが鼻を擽る。 この四トン車で、一番気に入っているのは、ベットが付いていること。 ベット…
再びトラック運転手の時代に戻ります。 二トン車での倉庫庸車は、倉庫が倒産したため、やむなく次の職場を探す羽目に。 丁度、二トン車の時の運送屋が四トン車の需要を求めていたのを機会に、思い切って四トンの新車を購入することにしました。 今でもそんな…
次の年もまたまた、ハンズ大賞に応募、またまた入賞、審査委員特別賞栃折久美子賞。 この作品は、かなり苦労しました。 3x6判の白い発泡材に電動ドリルで0.3ミリから0.6ミリの穴を数万個の穴を開け、中に色んな色のネオン管を点滅させ、宇宙らしく見せ…
二度目の賞彰式、今度はその他大勢でなく、個人で受ける賞彰、誇らしく威張ってもいいかも。 前と違う点は、賞状のほかに盾が、頂けました。それだけ! 前言い忘れていましたが、受賞作の作品展がその都度行われます。 東京会場は、ザ・ミユージアムで、大阪…
今度の賞彰式には、小学時代の同級生の友達(だった)電気屋の夫婦と、私達夫婦の四人で、彼の車で良く事になりました。 朝早く、どうせなら物見遊山、あちらこちら寄り道していくことに。 まず、初めての鎌倉、街道の狭いことに驚きました。渋滞に呑み込ま…
一年後、ハンズ大賞に応募しました。 味を占め、二匹目を狙ってみました。 見事に二匹目も引っかかってくれました。 第11回ハンズ大賞です。 前回の作品は、パネルに間接照明で仕上げた作品でしたが、今回はネオン管そのもので、ネクタイとクリップを木箱…
3月26日に東京渋谷ブンカムラ ザ・ミュージアムで表彰式が執り行われる。 新幹線で早朝妻と二人で、東京へ・・・ 会場には、受賞した作品が、所狭しと並べられていました。 かなり広い会場には、パーテイ用の食事の用意も整っていました。どこかのホテルから…
二月初めに2次審査があり、賞に入ったとの通知が来たときは、ビックリ。 第10回ハンズ大賞は、資料請求数8.837枚、応募総数2.247点、第2次審査の通過作品(入選作品)数は、193点でした。 私の作品は、末席のハンズ・マインド賞、(20点…
私がハンズ大賞の存在を知ったのは、平成4年頃の事です。 その頃、私はネオン工房、すなわちネオン管そのものを曲げたり、ガスを入れたりの職人をしていました。その話は後ほどたっぷりすることにして、取敢えずそのネオン管でアートっぽい作品を作っていま…
少し退屈な話が続いたので、たまには楽しい話と言っても、またまた私の自慢話でしかないのですが。 東急ハンズは、大抵の人は知っていると思いますが、ハンズ大賞は知らない人も多いいと思います。 東急ハンズが主催の手造り作品の応募した賞の事です。 19…
カーペットも扱っていました。 その倉庫も他所にありました。 カーペットは竹の芯に巻かれていました。大型トラックで入庫されるとき、人手が足りないとき、私達も駆り出されることも在りました。 そのトラックに同乗して、少し離れた倉庫に行って、荷下ろし…
それから私は、別の倉庫へ一人の社員と、彼は倉庫の正社員です。 倉庫は四か所にあり、彼と私は港に近い運河のこじんまりした、倉庫にトラックで出かけるのが日課になって居ました。 途中モーニングコーヒー、要するにさぼり、時間潰し、其れからおもむろに…
朝、出勤します。 私達庸車はトラックで出勤します。 その頃には、倉庫の前には大型トラックが、何台も連なって並んでいます。 時には倉庫の敷地を食み出して道路にまで、一般の車両の通行を邪魔していることも在りました。 まず、それらの大型トラックの荷…
倉庫にはその割に小さな事務所があります。 二階は偉いさんの部屋、下が普通の事務所、女性の事務員が三人、倉庫業は地味な商業柄、年増の事務員が多かった。 此処だけではありませんでした。どこも倉庫屋は力仕事が主な業務なのだから、私の居た倉庫も、男…
倉庫業とは、工場の等の倉庫と違って、物品を預かってその物品、商品を配達することによって、商いが成立するのが、簡単な話貸倉庫のようなものです。 私が庸車として契約していた倉庫は、名古屋駅近くの運河沿い、その運河は、昔名古屋城を築城するときに掘…
長野から帰って、免許を取って、人生初めて本格的に働くことに為りました。 それから四十数年休みなく働く羽目に、後悔はしていません。 私の人生、こんなもの大した事なかった。まだ終わっては居ないけれど・・・ 1トン車の時は、段ボールを、其れから2ト…
今日一番で郵便局に行って、腹を立てた。 私は今自分の蔵書をアマゾンで、処分?販売しています。 今年一月元旦から注文が入りました。近所のいつもの郵便局は三が日休みのため、北区の基幹郵便局に行って、ゆうメールで一冊350円で発送しました。 ところ…
私が地元を離れて一年半ほど経っていました。 流石に祖母が、寂しがっているとの事、それにぶらぶら瘋癲よろしく、収入も定まっていないのもよろしくないと、思うようになって来たのも、在りました。 マスター、ママにその旨告げ、帰るその日にひと悶着。 二…
古本屋もいろいろ、良品的な古本屋と言えば、前章で描いた、あまり裕福で無い古本屋さん。 私が最近蔵書を処分しようと、電話帳で古本屋を探して居る時、その頃には懇意していた古本屋はすでに廃業していました。 当時私も二十数年営んだ自営業を、廃業して…
古本屋もいろいろ、良品的な古本屋と言えば、前章で描いた、あまり裕福で無い古本屋さん。 私が最近蔵書を処分しようと、電話帳で古本屋を探して居る時、その頃には懇意していた古本屋はすでに廃業していました。 当時私も二十数年営んだ自営業を、廃業して…
古本屋だから、古本だけを取り扱っているわけで無かった。 それ以来、親爺との付き合いは、二十年以上に。今は、廃業したらしく、店もクリーニング屋になって居ました。親爺さんは何処へ。 時々、コーヒー屋で情報を貰って居た頃が、懐かしく思い出します。 …
古本屋だから、古本だけを取り扱っているわけで無かった。 それ以来、親爺との付き合いは、二十年以上に。今は、廃業したらしく、店もクリーニング屋になって居ました。親爺さんは何処へ。 時々、コーヒー屋で情報を貰って居た頃が、懐かしく思い出します。 …
私が古本屋にのめり込んだのは、二十歳ぐらいだったか?それまでは新刊本専門で、メボシイ本を漁っていました。、 目指す本が見つからないときは、四トントラックにもかかわらず、名古屋 中目に付いた本屋はほとんど回りました。 古本屋にはあまり興味があり…
北海道の夏は涼しいイメージしか有りませんでした。 夏休みの真っ最中だったと思います。 とても暑かった記憶だけ、鮮明に覚えています。 その歳は特別だと、地元の人も口々にそうゆうのだから、間違いないと思います。 普段北海道の夏は、とても暑い日は、…
それからどれだけ、一年、半年?たっってから、慰霊祭が、その時初めて北海道に行くことになりました。母親、親戚の叔父さん、それから従兄弟の二人、私、国鉄のSLに港乗って2日がかりの旅、今なら飛行機で二時間もあれば行ける旅。 小学生三人は、退屈しな…
当時、名古屋から北海道へ行くには、国鉄いまのJRを乗り継いで行く以外、手段は在りませんでした。飛行機なんてトンデモない金持ちぐらいしか、利用出来る訳がない時代でした。勿論新幹線なんてまだ計画すら上っていなかったと思います。 事故の当事者が国鉄…
私は父親についての記憶が、ほとんどない。 まるっきりない。 一歳くらいの私を抱いた、写真店で撮ったらしい写真が、一枚だけ見たことがある。 可成りの二枚目らしい、その話は身内から散々聞かされた。 私の記憶にないのは、彼は私がまだ幼いころ、名古屋…