嫌われじいさんと捨て猫チビ

猫嫌いのじいさんが飼い猫と戯れる日常と読んできた本の感想たまに。

青函連絡船・・・

当時、名古屋から北海道へ行くには、国鉄いまのJRを乗り継いで行く以外、手段は在りませんでした。飛行機なんてトンデモない金持ちぐらいしか、利用出来る訳がない時代でした。勿論新幹線なんてまだ計画すら上っていなかったと思います。

事故の当事者が国鉄だったので、当然責任をもって、遺族を運ぶ手立ては汽車だったと思います。あるいは蒸気機関車だったか?

事故当初は、母と父の妹が、取りあえず北海道へ行きました。

2日がかりの行程、だったとの事。

現場では夥し遺体、父を探すのにもひと苦労したみたいでした。幸い父の遺体は大して傷んでいなかったようです。

水難事故の遺体はとても見られたものでないと、聞いていたらしいので、覚悟していたらしい、ほっとしたと・・・

泳ぎに自信あったらしいが、夜中の暗闇の中、陸地が分らなかったと、後に生存者の話として聞きました。

話として救命に来た多数の船の明かりを、陸の明かりと勘違いして陸と逆に、泳いでいった、犠牲者が可成りいたらしい。

父もその一人だったらしく、海水は一滴も飲んでいなかったらしい、唯唯、荒れた海水に漂っていた、船の部品に当たったらしい傷が致命傷と言われたそうです。

北海道で荼毘にふされ、名古屋に帰って来ました。