嫌われじいさんと捨て猫チビ

猫嫌いのじいさんが飼い猫と戯れる日常と読んできた本の感想たまに。

出発前のトラブル・・・

当時の名古屋空港は、セントレア空港ではなく、小牧空港が名古屋の国際空港でした。

今から見れば本当に小さい地方空港にすぎない程度の空港でした。

兎に角飛行機に乗り込みました。 動き始めました、初めてのヨーロッパに胸躍ろろさせていました。

ところが、滑走路に向かい暫らくして、前がつかえているわけでもないのに、突然滑走路に出る前の途中で飛行機が止まってしまいました。???

暫らく案内放送もないまま、ほったらかしのまま、不安な沈黙が機内に漂って息苦しくなってきました。

10分くらい経って、初めて機内放送がありました。

車両の不具合、我々には分からない、兎に角飛行機に何らかの不都合暫らく時間がかかりそうだとの事。

 

 

旅の始まり・・・

私達が旅行に行く時は、いつも決まったメンバー私達夫婦、妻の次男夫婦、そして妻の末っ子双子の兄弟、大体この六人で行く事が決まりのようになって居ました。

其の外、妻の兄弟はもともと7人兄弟、其のうちの4人が気が合う様でした。

ヨーロッパはみんな初めての事で、ドイツからスイス、からイタリアか?ドイツからスイスからフランスパリか?何方にするか揉めましたが、結局私の決断でドイツ、スイス、イタリアに決めました。

ハワイの夕陽・・・

ハワイでもやはり女性は買い物が主な目的のひとつらしい。

可成り大きなショッピングモールが、幾つもあり何処へ行くにも親切に無料バスで送り迎えしてくれるので、妻に付き合うのもそんなに苦痛でもありませんでした。

ハワイでの最終日のサンセットクルーズに、これも旅行代金の内、食事は大した事ありませんでしたが、船から眺める夕陽をみるだけでも値打ち在りました。

それにハワイ在住の日本人の多さにビックリ。

さらばハワイ・・・

ハワイの続き・・・

ワイ島アメリカ合衆国のぐんぢきち軍事基地らしい、第二次世界大戦の時日本軍の奇襲攻撃はあまりにも有名、私はぎりぎり終戦生れ、戦争を知らない子供たちの一員このまま、生涯戦争を知らない大人のまま過ごしたいのです。

食事の時のチップの煩わしさ、流石に日本人。

色々バスで島をめぐりましたが、日本のテレビコマーシャルで見慣れた日立のコマーシャルの現場には、少しがっかりしました。

日本人なら誰でも知っているだろうあの歌、”この木なんの木気になる木・・・”の大木を見に行った時の事、公園らしき広場に大木はさすがに迫力ありました。が、その太い幹の横にアメリカらしいでかいゴミ箱が堂々と添えられていて、きようざめ、記念写真撮っても如何しても映ってしまいます。

デリカシーないこと・・・

ハワイの土を踏む・・・

殆ど寝不足のままハワイに降り立った私達、やっとあの三人組の名古屋の叔母さんとも離れる事が出来寂しむもあり、楽しくもあり、本音は精々しました。

ハワイは話に聞いていた通り、暖かかった。

一様並のハワイ観光をすまし、想像した通りのハワイ大したことありませんでした。

私のハワイの印象・・・ここならホームレスしても生きながらえる事が出来そう。

凍死することもないし、一寸郊外に出れば木の実や、野草も豊富の様で何んとか飢え死にする事もないだろう。今から飛行機のチケット代くらい用意しておくか?

飛行機の中で・・・

飛行機の中の席は確か3x4x3だったと思いました。

私の席は4の左端、妻は遥か前6席声をかけるにも憚れるほど、私の席右3席は、日本の三人組の叔母さん、最悪・・・

飛行機が飛び立つ前から、簡易テーブルに並んだお菓子類の数々、袋を破る雑音に交じって発する名古屋弁の煩わしさ。

このままでハワイまで、気が虚ろ、憂鬱、彼女らのお喋りはとめどなく、私の耳から脳に突き刺さり離れようとしません。

それでも何時間たった頃うつらうつらしたらしい、気が付いた頃窓の景色は夜明け前の景色黄土色の朝日に染まりかけていました。